「政府は若者にもう食わせる気はない」

大内裕和さんのセンセーショナルなお話を聞いて(参加者 西川巌さん)

講演では現在の大学生の生活実態として次の二点が上げられた。

○アルバイトは正社員をサポートする補完業務を担うものではなくなりつつある。例えば、アルバイト店長などの存在。塾などでのアルバイトでは一定の責任を負わせられるし、長期間勤めるアルバイターも多い。

○結果として、学業よりアルバイトを優先せざるを得ない場合があり、それを求めるアルバイト先も多い。

○卒業後、奨学金倒れする者が増えている。

○家計からの仕送りが2000年の160万円弱から、2012年には120万円まで減っている。アルバイトの収入は増えておらず、奨学金(特に有利子)が増加している。(有利子奨学金受給者は、1998年に約10万人だったものが、2013年には100万人を超えた)

○月額10万円の有利子奨学金を4年間借りると、返済総額は約650万円、毎月27000円を20年間返し続けることになる。


さて、私の学生時代は。

○今から45年ほど前になるが、年間の授業料が12000円で、奨学金を受けるものも多くいたが有利子というのはなかったと思う。

○私立の大学でも理系の年間授業料は30万円から50万円(実験教材など込み)で、立命館などは比較的安く20万円かからなかったと思う。

○苦学生でアルバイトをするものもいたが、多くは自由になる金を増やしたいという目的でバイトをしていた。だから、学業に支障をきたすようなバイトはなかったし、企業も学生に負担をかけるようなバイトはさせなかった。

○街中でも、世の中全般が比較的学生に好意的な眼を注いでいたように思われる。(これは私の通った島根大学が当時は県で唯一の4年制大学だったからかもしれないが)

○さて話を大内氏にもどす。


20代、30代の約半数が年収300万円以下で自分だけでは食えないものが多い。

しかしだからといって、政府に、無利子奨学金を拡大しようとか国立大学の学費を軽減してやろうといった「若者を救済してやろう」という気はない、という。

○大内氏は、講演の最初の方で聴衆にとっては唐突と思える形で、新自由主義の系譜なんだろうといわれたが、まさにここで話がつながった。

○政府は「自己決定・自己責任」を基調とする新自由主義を重視しているから、「若者に食わせる」気はないということなのだろう。


一億総中流社会から格差社会へ

○ここから先は、大内氏の話に触発された私の所感となる。

○私の青年時代、「一億総中流」という言葉があった。

○今日の社会システムの多くはそうした総中流を背景としている。例えば学校教育でも1学級40人はその典型だろう。

○多くの家庭の家計がある一定枠にあれば、40人という多さでも教育は可能だろう。生徒のレベルが比較的均質化しているからだ。しかし、貧富の格差が拡大すれば、40人の生徒を一括して面倒を見ることは無理になる。

○それはすでに始まっているのだろう。不登校の中にはそうした子どももいるはずだし、今後10年足らずでもっと激しくなり、学級崩壊が進むと思う。

○当然社会も新しい階級社会を迎えることになるだろう。

○そしてそれでも今の政府なら、「自己責任・自己決定」だからというのだろう。