外国人労働者への日本語教育、長い目で見れば社会安定のための公共事業

2018/11/4 日本の労働力不足を補ってもらおうとするための法案の審議に寄せて

我々が日々の生活を便利に豊かにするために、その影で多くの外国人技能実習生が辛い思いをしていることを可視化する時期に来ている

20171213日付朝日新聞で「技能実習生の失踪」が昨年半年で3000人を超えており、年間6000人を超える見込みを伝えていた。「豊かな国日本で働いて、借金を返して自分も家族も豊かになりたい」という多くの東南アジアの若者に、「日本の進んだ技能を身につけてもらって、母国の発展を支えてもらう国際貢献」を目指すとした外国人技能実習制度である。日本語能力も高くない外国人が、年間6000人も失踪している日本社会とはどんなところか。失踪者の増加が示唆しているのは、低賃金に嫌気がさしたり、職場のイジメや暴力、不法行為等に耐えきれないといった彼らの置かれた状況である。
・さらに目を疑うような記事が出たのは20181014日で、「いびつな政策の犠牲者」ベトナム人実習生らの相次ぐ死」(朝日デジタル)が伝えるところによると、ベトナム人の尼僧がいる東京都内の寺院「日新窟」には、2012年から今年7月分まで、81柱ものベトナム人技能実習生や留学生の位牌を弔っていると、写真付きで報じている。突然死や自殺で、20、30代の若者が日本で命を落としている。

何人のベトナムの若者が亡くなったら、日本社会は変わるのか。

・今国会で「移民ではない」外国人に、日本の労働力不足を補ってもらおうとするための法案が審議されている。1960年代にドイツでは戦後の労働力不足を補おうと多くの外国人労働者を受け入れたが、様々な人権問題・社会問題が出たのを見て「労働力を入れるつもりだったが、来たのは人間だった」という有名な悔恨に満ちた言葉が発せられたのを知りながら、日本でもまた同じことを言うつもりなのか。
・失踪したり命を落としたりした若者の、日本語能力はどうだったのだろう。周りの日本人とコミュニケーションできていたのだろうか。自分に必要な情報を入手できていたのだろうか。
・外国人への日本語教育に携わる一人として心配しているのだが、働きに来る外国人を受け入れるなら、その人たちへの日本語教育は、長い目で見れば社会安定のための公共事業ではないのだろうか。
・「日本人なら誰でも日本語教師になれる」というのは間違いで、成人の学習者に必要な日本語能力を効率よく身につけられるよう指導するためには、専門的な知識と経験が必要である。(学費の高い)商業ベースの日本語学校や地域ボランティアにだけ丸投げするのでなく、これまで「留学生30万人政策」で、多くの「文科省国費留学生」が受けてきたほど手厚い支援ではなくても、日本語教育の質と量を保障するために公的資金を投入して、政府が責任を持って遂行するべき事業なのではないかと考えている。
・「日本なんかに来るんじゃなかった」と思いながら帰国したり亡くなったりする若者を減らさないと、この制度に先はないと思うのだが。

(寄稿:MJ・O大学教員)